その1 プロフィール その2 緑地の概要 その3 地域別、船橋市の風土(南部) その4 地域別、船橋市の風土(中部) その5 地域別、船橋市の風土(北部) |
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地域別、船橋市の風土(中部) 【今と昔】 海老川は市内の中心を流れ東京湾に注いでいます。その昔、この川は主要交通網でありました。特に、室町時代には海老川の河口にある船橋大神宮の周りに市が開かれ、印旛沼や手賀沼から運ばれてくる物資などで、市は活気に満ち溢れていたそうです。 さらに時代を遡ると、平安時代には伊勢神宮の荘園である夏見御厨(なつみくりや)がありました。* 夏見御厨の「夏見」は船橋の地名を研究されている方によると、「菜摘み」に由来しているとされているそうです。この辺りは菜がたくさんある牧歌的な雰囲気が想像されます。 このようなエピソードから、「海老川に水運の船が行き交い、その周りはのどかな田園風景が広がっている」という昔の情景が目に浮かぶのではないでしょうか。 では、現在の風景はどうでしょうか。実はこの辺りは市の市街化調整区域に指定されていて、船の行き交いこそ見られませんが、現在でも田園風景を見ることができます。 また、海老川は大雨が降ると必ず増水し、浸水の被害に遭うことが多くありました。このため、護岸工事や親水公園(川が増水したときに公園自体が調整池となる仕組みをとっている)の建設などにより、最近では浸水の被害もなくなっているようです。 |
* ひとくちメモ 荘園とは有力者の私有地のことです。 平安時代、有力な寺社や藤原氏のような有力貴族が所有している土地(荘園)は免税措置がとられていたことから、地元の土地を開墾した農民たちは自分たちの財産を守るため、形式的にこれらの有力者に土地を寄進し、実質はその農民たちが管理するという方法をとっていました。名より実をとったわけです。 伊勢神宮などの有力な寺社に形式的に寄進した荘園を「御厨(みくりや)」といいます。夏見御厨もまさにそういう土地だったわけです。 こうすることにより、朝廷からの徴税や役人が荘園に立ち入検査することを拒むことができたのです。これを「不輸不入の権」といいます。 その後、時代が経つにつれ、地方豪族は自分たちが開墾した土地を他の豪族や朝廷から守るため、自ら武装していきます。武士の誕生です。 |
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【中部の野鳥】 この辺りの環境は海老川を中心として洪水を避けるための遊水池があり、その周りに葦原や田んぼまたは草原が広がっています。また、所々にちょっとした丘があり、そこは大抵畑となっています。その丘の斜面が雑木林となっている場所も見受けられます。 したがって、この辺りは池にはサギ、カモなどの水鳥やヒバリ、オオヨシキリなど草原や葦原などに集まる小鳥、さらにはこれらの野鳥を捕食する猛禽類など、多様な鳥たちを観察することができます。 |
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【代表的な野鳥】 | ||
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ヒバリ | チュウサギ | チョウゲンボウ |